活動レポート

【第2回】

こんにちは。お疲れさまです。皆さまお元気ですか?いつも応援ありがとうございます。池脇まさひこ(池脇雅彦)です。元気で頑張っています。

サッカーワールドカップにおいて、日本代表が惜しくもクロアチア代表に延長戦の末、PK戦で敗れてから早くも1週間が過ぎました。この間、クロアチアは、優勝候補筆頭のブラジルを相手に再びPK戦を制し、準決勝に進出を果たしました。非常にタフな試合、しかも2試合連続してPK戦になっても、きっちりと勝ち切るクロアチアの選手たち。彼らのメンタルは驚異的ですね。そして、このクロアチアに対して激闘し惜敗した日本もまた強かったと思います。あらためて森保ジャパンに心から大きな拍手を送りたいと思います。

さて、サッカーワールドカップに日本中が、世界中が熱狂しているこの機会に、是非、私が関わってきた「サッカー」について、お話を聞いていただきたいと思います。池脇のサッカーの話って何だ?と思われている方。上の写真をご覧ください。これは29年前の写真です。「池脇も昔は細かったんだなあ」、なんていうことを皆さまに思っていただくために掲載したわけではありません(笑)。

私が手にしているものをよーくご覧になってください。どこかで見たことがありませんか?そうです。これこそが、世界中のサッカー選手の夢と憧れの大会であるワールドカップにおいて、優勝したチームだけが手にすることが許される「ワールドカップ」トロフィーなのです。この写真を見た人は、たいがい大変驚かれます。何で池脇ごときがワールドカップを手にしているのだと(笑)。

実は、このとき私は、広島市教育委員会社会体育課に勤務しており、同時に、2002年ワールドカップ招致委員会広島実行委員会事務局の担当者でした。2002年ワールドカップは、皆さまご承知のとおり、日韓合同開催で行われた大会でした。しかし、広島は、国内開催地選定の段階において、スタジアムの基準が満たされていない、いわゆる「屋根かけ問題」で落選してしまいました。当時、だいぶ騒がれたので覚えておられる方も多いのではないかと思います。

私は、この招致活動を始めた1992年当時の担当者でした。招致に係る経緯等については、紙面の関係もあり、あまり詳しいことは申し上げられないのですが、当時の私は、教育委員会に出勤後、広島商工会議所国際部国際課に出勤する毎日でした。なぜ、商工会議所で仕事をしていたか?それは、広島招致委員会の会長が、当時の広島商工会議の会頭であったからです。では、どんな仕事をしていたのか?主には①開催基本構想を策定すること、②招致のための寄附金を集めるため、商工会議所会員企業に寄付をお願いに回ること、のが主な仕事でした。

その数年前まで、中学校で保健体育を教えていた私が、専門外のスタジアム建設における数百ページにもおよぶ開催基本構想を策定し、さらに、大小さまざまな企業を訪問し寄付のお願いをするなど、考えてもみなかったことでした。お陰さまで、このときの経験が、イベントの費用対効果や、都市インフラ、まちづくりの基本構想等について、よく理解できるようになりました。また、サッカーを中心としたスポーツ振興のために、多くの企業から数千万円の寄付していただきましたが、そのときに築き上げた人脈が、今でも私の財産であり、原動力の一つとなっています。

このことに加え、1994年(平成6年)10月から1995年(平成7年)3月までの半年間、毎週金曜日の20:00からRCCラジオの「サッカーdeエクスプロージョン」という横山雄二アナウンサーの45分間番組に毎週出演させていただきました。当時も、いや、あるいは今でも、地方公務員が民放のラジオ番組に毎週出演するなど、ある意味、考えられないようなことでした。「招致活動の一環だ」と言い切り、上司や周りの白い目も気にせず、またサッカー経験者でもない私が、日本でワールドカップを開催する意義を熱く語っていたことを、昨日のことのように覚えています。

このとおり、私は、当時から既成概念、前例主義にとらわれず、常に新しいアイデアでイベントを運営し、実績を挙げてきました。公務員の事務は、基本的に前例主義でありますから、上司や関係部局との調整は実に大変なことでした。しかし、このとき苦労して身につけたノウハウが、後に、世界バスケットボール選手権大会、日本陸上競技選手権大会、五輪事前合宿、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)等のビッグイベント開催において、高い外部評価をいただけた原動力であったと自負しています。

話をワールドカップに戻します。ワールドカップ招致で大変残念だったのは、私が職場を異動した後に、先に述べたように広島が開催地として失格したことです。私の後任である後輩職員が、今度は寄附金を返しに起業を回るということなり、この後輩には、今でも大変な苦労をかけたと思っており苦い思い出です。

さて、話が長くなりましたが、問題は上の写真です。この写真を撮影した場所は、福屋八丁堀本店です。このとき、ワールドカップ招致活動の一環として「ワールドカップ展」というイベントの開催中でした。ワールドカップの展示はもとより、当時、現役日本代表選手だった現日本代表監督の森保一氏をお呼びしてシンポジウムの開催もしました。その折に、厳重に管理された「ワールドカップ」を持たせていただきました。ワールドカップのずっしりとした重みは今でも忘れることはできません。自分にとって最高の思い出であります。

今回はこのあたりで失礼します。次回もサッカーのお話が続きます。お楽しみに。
明日も地道にこつこつ頑張ります。応援よろしくお願いします。
ではまた次回ブログでお会いしましょう。皆さまお元気でお過ごしください。

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